今日は、予定を間違えて、一人、待ち合わせ場所に行ってしまいました。
 
日毎に、母が、亡くなった事が身にしみてきます。
 
そして、それを否定したい自分も居ます。
 
お経を毎日、お唱えする事。
 
仏壇に手を合わせる事は、私の心を慰めてくれます。
 
 
 子猫達も私の側を離れず、
 
1日中、寄り添ってくれます。
 
お経を唱える横で、昼寝をしています。
 
そして、母の遺体を踏む事もなかったです。
 
猫は、霊的に敏感な動物と言われてますが、そうかもしれないですね。
 
こんな時だからこそ、やりたい事を書き出そうとしますが
 
今日は、ただ、おっとり暮らしてしまいました。
 
明日は、師匠にご挨拶に行き、金曜から、仕事を始めます。
 
今回、母の死を機会に、
 
改めて、思った事は、人は一人で生きているんじゃない。
 
という事。
 
私には、友達が居るんだ。
 
とか、家族が居るんだ。
 
とか、当たり前だけど、当たり前じゃない有難い事実を受け取りました。
 
そして、いつも、一人で、孤独に浸ってしまう私の癖を痛感しました。
 
私が、孤独に浸ってる時、それは、単純に
 
社会に対して、人に対して、私が背中を向けてるだけなのです。
 
心の中に、愛してる人を想ってる限り、孤独では無い。
 
母を想う。と、本当にそれが解る。
 
圧倒的に一人だったけれど、本当の心の側には、私たちが居た。
 
例え、沢山の人に囲まれて暮らしていても
 
心の中に、誰も居なかったら、とても、寂しいと思う。 
 
いつも、いつも、大事な人の幸せを祈ろう。
 
大事な事は、いつも、口に出して伝え、行動として表現する事にします。
 
人は、誤解するし、大事な事でも、忙しさにかまけて見失ってしまう事があるから。
 
これからの人生、毎日、面白い事を考えて、それをどうやったら実行出来るのか?
 
そういう事を沢山、沢山、考えて、実行して生きよう。
 
朗らかに笑って暮らそう。
 
 
 
お母さんは、どんな人でしたか?
 
そう聞かれた時、
 
姉と兄と私は、
 
「朗らかな人だった」
 
「オシャレな人だった」
  
「艶っぽい人だった」
 
「お料理が上手な人だった」
 
「頭が良かった」
 
「面白い人、」
 
「歌が上手だった」
 
そんな事ばかりを口々に言いだしました。
 
それを聞きながら、改めて、
 
そうだった。そうだった。
 
私のお母さん、元気だった時もあったし、
 
愉快に暮らしてたな。
 
それを改めて、思い出して嬉しくなったものです。 
 
 
私が、もっとも、面白いと思う事に、料理がある。
 
「旨い」そして、体に良い!!
 
これを追いかけるから、皆、食べに来てね。
 
また、メールもありがとうございます。
 
優しい気持ちをありがとう。
 
とても、うれしかったです。