生き延びた日々

一周忌

母 

 

1年前に母は、旅立ちました。

 

最初に入院してから、36年。

 

私は、母と暮らした年月よりも、入院してる方が長かったです。

  

私が、十代の頃に始まった自殺未遂は、様々なバリエーションでした。

 

亡くなる数年前は、「水中毒」お水を沢山飲んで死にかけたこともあります。

 

晩年は、統合失調症と言うよりも、痴呆症のおばあちゃんになり、

 

徐々に、体が衰えて、穏やかな最後でした。

 

母 

 

↑これは、15年ぐらい前の写真。

 
まだまだ、母は、元気でした。
 
ずーっと、歳を取らずに、元気で居てくれると信じて疑わなかった頃です。
 
自殺未遂を繰り返しても、ゾンビみたいに、蘇る母は、不死身だと思ってましたね。
 
母
  
この写真は、何年前かな?
 
だいぶ、痩せてしまっていますね。 
 
死ぬことは、悪いことでは無い。
 
人生の最後に、命が終わって、あちらの世界に行くことは、
人間の成長段階の一つなのだ。
私もこの道の最後、母の元に行けると思うと歩いて行けます。
お母さん
 
私が、一番、幸せだった時の記憶の中の母は、着物姿です。
 
とても、お洒落で綺麗だったな・・・
美味しい物を沢山作ってくれました。
 
朗らかで、歌が上手で、陽気な人でした。
 
私の良いところは、母に似ています。
 
悪いところは、、、、父のせいにしておこうかな・・・
私は、母を真綿でくるむように守りたかったです。
おばちゃん、パーマを当ててるお母さん!!
 
私の中では、不評だった髪型です(笑)
でも、美容院に行くのも大変だったのかな、、、
いつも、働いてるお母さんでした。
   
 
本当に、お母さんは、いつも働いてました。
 
いつも、お金の心配があった様に思います。
 
お母さん、真面目で一生懸命に働いてたけど、本当に、大変な暮らしだったね。
 
退院したら、すぐに働いて、、、
 
小学校もろくに、行けなかったお母さんが、
履歴書に適当な事を一生懸命書いてたのを思い出します。
 
日本が戦争に負けた時、お母さんは、小学生だった。
 
 
お母さんの人生が、苦しくて、大変だったんじゃ無いかと
ずーっと心配してたのですが、幸せなことも沢山あり、、、
それが、私たち子供がいた事だと気付いたのは、最近の事です。
 
本当に、お母さんは、幸せそうに笑ってる。
 
私が、結婚してからは、夫と3人で、よく近所の公園に行きました。
 
お母さんと一緒に旅行に行ったりしたかったなぁ・・・
 
顔を見せること以外の親孝行は、何もしてないので、色々、思う事ばかりです。 
 
ヒーリングとかを勉強して、変わっていく私をお母さんは、どんな風に
見てたのかしら・・・
 
私は、勝手に、お母さんを助けたいと思って、あれこれ勉強してたけれど
お母さんは、そんな事、望んで無かったなぁ(笑)
 
今も、それは痛感します。
今日は、お母さんが亡くなって1年目の夜。
 
お母さんは、病院で一人で夜に亡くなりました。
 
勝手に、一人で死ぬなんて、「可哀想」とか思いガチなのですが
思い出す度に、お母さんから、
「あれで良かってんや。あんたら側におったら、行かれへんかったやろ?」
 
「すぐに、助けられてしまうからな・・・あのタイミングで行きたかったんや」
 
と言ってる気がするのです。
 
実際に、延命措置は、いくらでも出来る日本だから・・・
 
ちょうど、1年前の今日は、友達の晋山式でした。
 
私は、司会をさせて貰ったのですが、本当に沢山のお坊さんのお経を
聴きながら、1日を過ごす事が出来ました。
 
 
 
猪川さんのご縁と徳分で、お母さんは、三途の川を渡れたのだと思います。
 
ご仏縁に感謝しています。
 
何ひとつ欠けても、今の私は、居ない。
 
今、母を想っても、笑ってる顔しか思い浮かば無い。
 
でも、やっぱり、最後、数日だけでも、家に帰って来て欲しかったなぁ。。。
 
夢でも良いから、今夜、お母さんが帰って来てくれたら良いのに、、
 
お母さんをお風呂に入れて、美味しいご飯を食べて貰って
綺麗な着物を着せて、お芝居を見せてあげたかったな。。。
 
贅沢させてあげたかったな。
 
それは、全部、私の「勝手な想い」なので
私の人生で、やってみます。
 
今日は、私の独り言でした。
読んでくださってありがとうございました。
良い日でありますように
生き延びた日々

感覚を切る

肉親からの性被害者の証言の中に

 

「お父さんに、やられている間は感覚を切っていたから・・・」

 

という表現を見て、

 

「感覚を切る」

 

という事って、やっぱり、多くの人が、生き延びるために

 

やってきたんだなぁ・・・と感慨深かったです。

 

 

私自身は、「感覚を切る」という事を意識的に行っていた事は無かったのですが

 

気がついたら、「感覚が自動的に切れている状態」になっていたので

 

「結果的に、生き延びた」のだろうと考えています。

 

高校生ぐらいの時、お母さんが、マックス頭おかしくなった時に

 

「お前なんて、産むんじゃ無かった・・・」

 

「お金の為に、産んだ子」

 

「男の子が欲しかったのに・・・」

 

「お姉ちゃんとお兄ちゃんを育てる為に、妾になっただけ!!」

 

とか、

 

薄々、そうじゃないかなぁ・・・

 

と感じていても、

 

絶対、認めたくない、言われたくない言葉を浴びせかけられた事があります。

 


 

その時に、

 

目の前に、シャッターが降りてきて

 

意識が数ヶ月、飛びました。

 

気がついたら、お母さんは、再入院していて、

 

目の前には、友達が居て、話をしてる。

 

という状態で帰ってきた事があります。

 

そして、その空白の間、意識が無かった事自体、全く知らなくて

 

意識飛んでるので、意識が飛んでる事に気がつけないのです。

 

数年後、高校時代を振り返った時に、友達に言われたのです。

 

 

友: 栄が、笑うようになって良かった。

 

私: 私、ずっと、陽気やん!!笑うなんて普通やん!!

 

友: えー・・・笑ってへんかったやん。

   1日中、ぼーっとしてるしご飯食べてないし、どれだけ心配したか・・・

   しばらく、毎日、迎えに行って、ご飯食べさせてたやん。

 

私: なにそれー!!??

 

という会話があり、その当時の事を改めて知ったのですが

その時は、ただ、ただ、驚きました。

 

今、分析すると、ブレーカーが落ちたんですね。

 

心の限界値を超えた。

 

私が、覚えてるのは、ガラガラ〜って、シャッターが降りてきて

 

物凄い勢いで、怒鳴ってるお母さんとかが、遠くなって

 

暗くなって、どこかで、眠った感じです。

 

目を覚まして、現実に帰ってきた時には、目の前に、友達が居ました。

 

そして、泣いてた。

 

砂漠に水が吸い込まれる様に、泣いて、泣いて、

 

戻ってきた様に思います。

 

私が、意識が無かった時、私は、どうなっていたのか?

 

という事ですが、、

 

私、昔、軽く、人格障害だったんですね。

 

ショックを受けて眠ったのとは、違う私が、現実対応をしてたな。

 

今、思い出すと、とても、当たり前の事なんですが、

 

頭のおかしいお母さんと毎日、向かい合ってた私の心も、とっくの昔に

 

壊れてたんですね。

 

お母さん、容赦無かったし、

 

私、子供だったし

 

抑制の効かなくなったお母さんに、心を握りつぶされた様な気がします。

 

ただね・・・お母さんの事を悪く思いたく無かった。

 

守ってあげたかったし、

 

支えてあげたかったし

 

元気になって欲しかった。

 

だから、現実をとても歪めて、受け取っていました。

 

優しいお母さん

 

頭おかしくなって、奇怪な行動をするお母さん

 

寝込むお母さん

 

一生懸命、祈ってるお母さん

 

優しいお母さん

 

しんどそうなお母さん

 

私に向かって、手首を切るお母さん

 

今の私には、どのお母さんもお母さんで、人間は多面体である。

 

という事がわかるんですが

 

あの頃の自分には、理解しきれなくて

 

お母さんの中に、自分が大嫌いなお母さんも居て

 

結果的に、私を傷つけるお母さんなんだ。

 

という事が、受け入れられ無かった。

 

自分の我慢が足りない。

 

としか思え無かった。

 

心理学でいう

 

「抑圧」を超えて

 

「分離」の状態に入っていく事の一つのサインが

 

「感覚を切る」

 

という事かもしれません。

 

なんか、しんどい。

 

モヤモヤする。

 

人が嫌い。

 

自分が嫌い。

 

このヨクワカラナイ

 

でも、今の自分を苦しめる感覚が産まれた背景には

 

感覚を切って、

 

意識から抜け出てた状態に

 

起こっていた現実があるのかもしれません。

 

長くなりました。

 

今日も読んでくださって、ありがとうございます。

 

個人セッションのお問い合わせは、

 

 info@reiki-eishin.net

 

までお願いします。


個人セッション 1回 3時間 ¥40,000(税別)

3時間 3回セット ¥ ¥110,000(税別)

3時間 6回セット ¥ ¥200,000(税別)

ブログに、ほんの少しですが、クライアント様から頂いた感想を
記載してありますので、参考にして頂ければと思います。

栄心ブログ
http://blog.reiki-eishin.net/?cid=1

場所は、ノート専門店、llenoの北隣りです。
http://lleno.jp/shop/index.html

セッションの日程です。

(お手数ですが、第3希望まで、お知らせ下さい。)


7月10日(水)11時〜14時 15時〜18時

7月12日(金)11時〜14時 15時〜18時

7月14日(日)11時〜14時 15時〜18時

7月15日(月)11時〜14時 15時〜18時

7月18日(木)11時〜14時 15時〜18時

7月19日(金)11時〜14時 15時〜18時

7月20日(土)11時〜14時 15時〜18時

7月23日(火)11時〜14時 15時〜18時

7月25日(木)11時〜14時 15時〜18時

7月26日(金)11時〜14時 15時〜18時

7月27日(土)11時〜14時 15時〜18時

7月28日(日)11時〜14時 15時〜18時 

 

 

人間を構成する要素は、優しさだけじゃない。

 

どうしても、私は、お母さんを理想化してしまう癖があります。

 

暫く、お母さんの闇と向かい合ってみたいと思います。

 

生き延びた日々

寝ずに働くとお腹が空く

4月も終わり。。。
今の時期になると、ちょっと気持ちが緩みます。

桜の花が、街並みから消えると、気持ちが楽になる。
もう、働かなくても良い様に思える。

 学生時代、桜の季節は、お花見のアルバイト。

教科書が高くて買えなかった私は、
朝、学校に自転車で行って、
帰りに、八坂神社まで、自転車で走って
そのまま、明け方の4時ぐらいまで、働いていました。

京都の北のアホの行く大学に通っていたので
祇園まで、自転車で往復。

その後、長いと16時間ぐらい平気で働いてた。
短くて、8時間、、、
今、考えても、よく働いたな。。。

 雨が降ったら、おやすみ。
つまり、雨が土砂降りにならない限りは、仕事が在る。

いつ、休めるのか、全く、解らない状況で
毎日、深夜まで働くって、
結構、辛かったかもしれないな。

 皆が、遊んでいる中を、さっさと帰って働く毎日。

花見のバイトは、楽しかったです。

朝は、家族連れや、ご夫婦。

お昼は、デートの皆さんや、お子さん連れのお花見。

夕方からは、会社のお花見。

深夜は、祇園のお姐さんが、お客さんと来られます。

 ヤクザから、社長、お乞食様まで、様々な方に可愛がって
頂いて育ちました。

私は、子供の頃、テキ屋のバイトもしていました。
今でも、あれは、天職と思うぐらい好きです。

本当によくして貰ったので、
お花見のバイトは、楽しかった。

 でも、明け方、片付けをして、
ゴミを捨てに歩くと、、、、

桜に浮かぶお月様が、あまりに綺麗で、
ポロポロと涙が止まらなくなることが結構ありました。

よく、ひとり、桜を見ながら泣いてました。
泣いてるというより、
あまりに桜が綺麗で、涙が止まらなかった。

もしかすると、あの暮らしが辛かったのかもしれません。

 あの頃の私は、「負けたくない!!」その一心で、頑張ってたけど
ほとんど、寝ずに、学校と仕事をしていたので、しんどかったのかもしれない。

自分と同年代の人たちが、飲み会やデートをしている中
私は、同じ場所に居ても、ずっと働いている。

 お酒の名前も味も皆よりも、遥かに知っていたので
私を、「遊び人」の様にいう人も居たけれど、、、

働いていただけ、、、、
そう、全く、皆と立場が違った。

そして、、、
いつもお腹が空いていました(笑)

寝ずに、毎日、明け方まで働いていたので
とくに、お腹が減ったのだと思います。

よく、お客さんの食べ残しを食べてました。

綺麗に残ったご飯は、乞食のおじさんたちが取りに来られるので
私も、上手に置いておくんだけど、、、

こっそり、私も食べてた。。。

そして、よく、店の人に見つかって怒られてたな。

お前は、乞食じゃないんだから、、、
お腹が減ったら、何か、お店のもの食べたら良いんだよ。。。

って言ってもらっても、

そうそう、

お腹が減った。

とは、言い出せなかった。

 「ひもじい」

この言葉を、体感してる人ってどれぐらい居るんだろう。

寒い。

ひもじい。

もう死にたい。

この、順番に不幸は、やってくる。

でも、私は、「ひもじい事」を知っている自分が嫌いじゃなかった。

 誰のお陰で、生きておられると思ってるんや!!

そういう、お母さんの手の中から
裸足で走って、逃げ切った気がして、爽快だった。

自分の足で歩いている。

そう思ってた。

 自分の力で生きてる。

そう思える事が、とても嬉しかった。

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本当に、思い出しても
無茶苦茶してたな。。。。

って思う事ばかり、、、

 寂しい思いや、ひもじい思いを沢山したから
今、レイキご飯の会とかしてるんだと思う。

 眠れる場所と冷蔵庫にいっぱい食べ物があって
夫と猫が居る生活は、夢のように幸せ。

幸せの沸点が低すぎるので、
私は、とても気楽に幸せになれる。

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愛が、日本中を包みますように、、、

5月2日(月)15時〜18時
私、九州震災の募金のための、オープンセッションを行います。
参加費:お気持ち制です。

ご参加希望の方は、メール下さい。
info@reiki-eishin.net



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楽になる講座 夏!!
開催です。


土曜クラス
6月4日(土)
7月2日(土)
8月6日(土)
8月27日(土)

月曜クラス
5月30日(月)
6月13日(月)
7月 11日(月)
8月8日(月)

皆様の声は、こちらから、、、 画面左の「ご感想」から見れます!!
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5月2日(月)15時〜18時
私、九州震災の募金のための、オープンセッションを行います。
参加費:お気持ち制


5月7日(金)
ついてるタロットお茶会 
参加費¥3000(税別)
15時〜18時
3000円相当の
パワーストーンのアクセサリーがついてくる。
実質無料!!

5月17日(火)
レイキご飯の会
参加費¥3000(税別)
13時〜17時

5月18日(水)残り3席となりました。
恋するメイク会
時間詳細未定 午後からです。
参加費:¥5,000(税別)

5月23日(月)
鞍馬山ハイキング
参加費:¥4,000

6月14日(火)
エンジェルヒーリング 天使のお昼寝
15時〜18時
参加費¥5,000